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新年のご挨拶

会社を経営し始めて、初めて知ったことがたくさんあります。
例えば年賀状です。
代表が亡くなった次の年は年賀状は出さないものだと思っていましたが、会社と経営者の逝去は関係せず、取引先との関係を優先することが一般的だそうです。
ましてや、私事ですが、昨年私の母も亡くなりましたので、年賀状を出すことに抵抗がありましたが、上記の理由もさることながら、やはり先代の残された絆は残すべきだと判断し、出しました。

ということで、昨年は色々な出来事に翻弄された一年でした。
そこで、今年の抱負は「マイペース」にしようと思っています。
マイペースで自分の思ったことを素直に伝えていく。
今まで仕事では十分に尽くしてきたつもりです。
今年は、自分のペースで仕事も無理せずこなして行きたいなと思っています。
それが実現できるかどうかは別にして、そんな環境の中でこそ、じっくりとアークの将来像を創造できるのではないかと思っています。
本年も宜しくお願い致します。


お別れの会を行いました

平成30年9月14日「大文字千秋氏お別れの会」を行いました。
平日にも関らず、沢山の皆様にお越し頂けましたことを御礼申し上げます。

「お葬式が家族葬だったので、49日のようなものを東京で行いましょう。」と奥様からのご提案を受けたのは亡くなられた翌日だったかと思います。
 当初は社員だけの簡単な食事会を予定していたはずが、いつしかどんどん規模が大きくなるにつれ、「声掛けした方々が皆んな来たらどうなるんだろう?」という思いと「平日の金曜日だし、集まらないんじゃないか?」との不安も抱きながら会場探しを始めました。
 会場探しは私が20数年前に大文字さんと再会した成城学園を皮切りに探し始めましたが、規模が定まらないために中々見つからない状態が続き、途方に暮れていました。
 そうこうしている間も私の本業のシステム開発もどんどん忙しくなり、帰り着くのが23時過ぎになるにつれ、会場探しもほぼ不可能な状態となってきましたので、高くつくのは承知の上で、Storyというプロデュースの会社へお任せることにしました。
 最初にこの会社に相談した際、その見積金額から、とても無理だなと思っていたのですが、プロデューサーの中田さんが親身に相談に乗ってくださったので、正直に予算のこと、出席者が定まらないことなどを伝えて、お任せすることにしました。
 当初薦められたのは、銀座のホテルだったのですが、銀座だと2次会を行うであろう方々が繰り出しづらいのではないかとの懸念から、新宿のホテルの地下にして頂きました。
 Story にお任せできたことで少し気が楽になったものの、依然、招待客の選定、招待状の作成、会の内容の取捨選択などなど、問題は山積なうえに会での挨拶の内容の纏めまでを行わなければならず、眠りに就く時間は深夜2時、3時という日が続きました。
この影響は徐々に各方面に出始め、色々な方々にご迷惑をお掛けしてしまいました。(この場でお詫びしたいのですが、ご本人はこんなブログ見ないな)
 当日は、私の散々な挨拶はともかく、会を滞りなく終えられたのも、奥様の作られた心のこもったビデオと当日のご挨拶、ご友人の方々のやはり、心のこもったご挨拶、 平日にも関わらず、お集まりいただきました皆様のお陰でした。
 そして、私個人としては、うちの家内の支えがなければとても乗り越えられなかったと思います。

 これからアークという小さな船は、荒波にもまれていくこととなりますが、その方向を見定めながら、大文字さんがどこを目指していたのかを探りつつ、私自身の思いも乗せて、舵を切っていこうと思っています。
そのためにはシステム開発しか能のない私には、皆様のご指導、ご鞭撻が欠かせません。
これからも宜しくお願い致します。


大文字代表が急逝されました

平成30年6月30日午前2時22分、創業者の大文字千秋氏が亡くなりました。
病名は、特発性肺繊維症が原因の肺炎で亡くなりました。
 7年ほど前に当時虎ノ門に本社を置いていたことから、虎ノ門の病院で特発性肺繊維症(この病気は特効薬がまだ開発されていない)の診断を受け、 余命5年の宣告を受けていました。
 大文字さんは湯治などでなんとか頑張ってきましたが、宣告を受けてから6年目くらいから体調を崩し、呼吸をすることが負担となってきましたので、本社を自宅のある長野へ移し、酸素治療を行いながら、引き続き闘病生活を送っていました。
 長野に本社を移転してから、私も仕事が忙しくなり、連絡が疎遠になっていましたところ、6月初めに連絡があり、お会いした時には既に歩くこともままならない状態まで悪化していました。
 それでも、意識はしっかりしていましたし、まだまだお前に代表を任せるつもりはないといった気概を感じましたし、将来の夢も語られていました。
そして、亡くなる一週間前にお会いしに行った時もその時お会いした時とそれほど病状の悪化を感じなかったので、引継ぎ作業が一段落したあと、私たちは東京へ戻りました。
 東京に戻ってから奥様からくる連絡は、どんどん容体が悪化していくというご報告が繰り返されたのですが、一週間前お会いした時はまだまだ1~2年は大丈夫だと漠然と思っていた私は、亡くなる直前に奥様から電話口で大文字さんへの最後の言葉をお伝えするように言われた時も心の準備ができていず、何もお伝えすることもできず、そのまま受話器を置くだけでした。
 その日の明け方に、大文字さんは旅立たれました。

あの時もっと覚悟しておくべきだったと今にして思えば臍を噛む思いですが、大文字さんの愛したアークを何とか盛り立てて行くことが、恩返しになると思っています。
最期は奥様と娘さんに見守られながら旅立たれたことは、ずっと一人で東京で頑張ってきた大文字さんへの贈り物だったのかも知れません。
ご冥福をお祈り申し上げます。